大学教育に求められるもの

法学部のような文系学部について言えば、「良い大学」に入るのは「良い就職先」を得るためというのが一般の意識といえるでしょう。ここで「良い大学」とは偏差値の高い有名大学を意味し、「良い就職先」というのは地方自治体・中央官庁や株式が上場されている大企業を指しているようです。就活中の学生に話をきくと、「学歴にはこだわらない」という建前とはうらはらに、現在でも多くの大企業はまず大学名でスクリーニングをしているようです。その結果、あまり知名度のない大学の学生は、大企業へ希望しても、気の毒なことに一次審査で落とされてしまうことになります(幸い関学生はこんな目に遭うことは少ないようですが)。多数の学生が希望する大企業では個々の学生の能力をはかることは事実上不可能ですから、ある程度大学名をみて選ぶというのは仕方ないことかもしれません。

このような従来のシステムでは、大学教育に期待されることはわずかしかありませんでした。学生は卒業証書さえもらえばいいのですから、あまり真剣に講義を理解する必要はありません。「楽勝」な教師の講義をとり、学生生活を恋愛や部活でエンジョイしながら、卒業することになります。教師のほうも、研究活動や学内政治が忙しいものですから、講義にはあまり力を注がず、そこそこの答案を書いていれば単位を与えていました。いやむしろ、講義に情熱をもち厳しい教師は多数の学生からは不評を買い、受講生が少ないというのが実態です。しかし学生が易きに流れるのはきわめて合理的行動で、責められるべきではないでしょう。

ところが、最近の大学教育ではGPA制度(数値による5段階評価)が導入され厳格評価のお達しが出たり、受け皿である企業からも「卒業生の質を保証できる教育」を求められるようになりました。これはどういうことでしょうか。本当に遊びすぎで最低限の知識もない学生が増えてきたのかも知れません。しかしおそらくは、経済状況が悪化した結果、卒業後に学生をトレーニングする余力を日本企業が失ってしまったことが主な原因ではないでしょうか。企業ではもう教育できないから、ある程度の知識は大学できちんと教育しておいてくれ、ということのようです。このような企業側の要求はいささか勝手だと思いますが、大学側も支払われた授業料にみあった教育をしてきたかと問われると忸怩たるものがあります。肝心の学生にやる気がない、と責任転嫁をするのは簡単ですが、大学教師のほうも教育に対してやや怠慢であったのは事実でしょう。学問の楽しさを伝え、学生のやる気を引き出し、基礎知識はもちろん専門知識を使いこなせるまでに訓練する努力が求められています。

もともと、未知の事案にも応用が利く基本知識を教え、さらに発展させる力をつけるのが大学教育の目的ですし、複雑で困難な問題にも挑戦できるやる気と自信をもつことは、学生たちが社会に出てどのような道に進むにせよ、役立つことです。多くの日本企業が社内教育をやる余力を失いつつある現在、大学できちんと基礎学力を身に付けた学生は、今後の人生において大きなアドバンテージをもつに違いありません。このような考えのもと、私は従前の講義案をすべて作り直し、新しいやり方を試みました。目指したのは「わかりやすい講義」ではなく「考える講義」です。この目的に近づくために、事例形式の設問レジュメを作成し、パワーポイントで重要判例や図表、写真などをいれたスライドを準備しました。単に講義ノートを記憶するだけで終わらないように、結論的な事柄はわざとスライドに入れず、口頭のみにしました。このようなやり方は、当初、易きにつくことに慣れた学生には不評のようでしたが(意地悪な教師と思われたかも知れません)、それでも大半の学生は私の講義を毎回聴きに来てくれています。わずかですが、確実な手ごたえは感じています。

(2010年12月13日 初出)