映画「ウォール街」1987年アメリカ
ある週末の昼下がり、ふと気が向いて、本棚の奥にあったアメリカ映画「ウォール街」(1987)のDVDを見直しました。
チャーリー・シーン演じる平凡な証券マンが金持ちになりたいと野心をもち、やり手トレーダーであるゲッコーに取り入り、指導をうけつつインサイダー取引など違法な取引によって大儲けしますが、父親の働く航空会社がゲッコーに乗っ取られ、解体させられることを知り、良心をとりもどし航空会社を救うという物語です。公開時は爆発的にヒットし、マイケル・ダグラスはアカデミー賞主演男優賞をとりました。
今回、DVDに含まれていた製作スタッフのインタビューに興味を惹かれました。
マイケル・ダグラスがその出世作となる本作品で、いかに悪党ゲッコーを演じるかに苦労したエピソードを披露していました。彼の演技を満足に見ようとしないオリバーストーン監督に対する怒りを感じつつ、株主総会で大株主として演説する場面は圧巻です。そのとき、彼はこういい放ちます。
「強欲は善です。強欲は正しい。」
映画のラストでは、労働者の仕事場を失わせないように主人公はゲッコーを裏切り、SECに逮捕されて裁判所に行く羽目になります。「額に汗して働く」ことが正しく、「モノを創造する仕事の大切さ」というメッセージが観客に伝えられます。
ところが、スタッフ・インタビューの中でマイケルダグラスが嘆くように、製作者の予想に反して映画「ウォール街」において最も賞賛されたのは悪役であるゲッコーでした。正義のため犠牲になる主人公よりも、冷酷で倫理観をもたないゲッコーに多数の観客は心を惹かれたのです。
映画はときに製作者の想像もしないような影響を生み出すものです。オリバー監督はなぜそんなことが起きたのか理解できないようでした。
私のみるところ、この原因は上記の「メッセージ」がかなり怪しいためです。たしかに違法なインサイダー取引は許されません。しかしその一方で、企業価値を守るという美名の下、不効率な経営者や労働組合を温存したままでは、株主の利益を損ねかねません。そこには声のない多数者の利益を犠牲にして、一部の当事者のみが利益をわかちあう構造が隠されています。
必要なのは、国民の誰もが富を持てる「機会(夢)」を与えられることです。強欲は善。ゲッコーの主張は、反倫理的かも知れないが、強い説得力をもっていたのです。持たざるものが、ルールの中で競争し、成功して富を得る。そして古い価値観を塗りかえていく。そのようにして社会は変わっていくのではないでしょうか。
今年、続編である「ウォール街2」が公開されるそうです。20年がたち、オリバーストーン監督が今度はどのようなメッセージを発するのか、観客がどのような評価をするのか、楽しみです。