梶谷懐・高口康太 著「幸福な監視国家・中国」
大学教授とジャーナリストによる共著である。そのことが本書の内容を特徴的なものにしている。現在の中国経済における情報テクノロジーの急速な発達状況の最新ルポであると同時に、それにとどまらず、政治哲学的な側面からの社会分析を行っている。
ここ数年、私は仕事で中国を訪れる機会が多く、いくたびにAI技術を駆使した監視が強化されているのを目の当たりにしてきた。しかし、「人民が監視下におかれている現代中国は、オーウェルが1984年で描いたような暗黒社会である」という日本における論調には違和感を覚えていた。実際に行ってみると、中国での生活は便利になっていたし、治安も過去に比べて大きく改善されていたからである。
本書の筆者らはそのような状況を「功利主義」による「パターナリズム」と表現する。人民が個人情報を提供し管理を承認する代わりに、国家は人民に対して利便性と安全な社会を提供する。信用スコアの利用により、社会的な肩書きを持たない人に対する融資の機会や、公共インフラの利用の可否などが決定される。ライド・シェアやクラウド・ソーシングなどのギグエコノミーも中国ではかなり発展している。現実の中国は、まさに「幸福な監視国家」の様相を呈しているのである。
そして、筆者らは、中国を西洋社会とはまったく異質な「暗黒社会」として捉えるアメリカや日本の傾向は危険であると指摘する。このようなAI技術による緩やかな管理・監視は、西洋社会においてもすでに生じており、そこで重視されてきた「市民的公共性」(個人の人権やプライバシーを尊重する)による歯止めも、かなり危ういのではないかと指摘する。たしかに、私の実体験としても、アメリカにおける監視社会化の進展は間違いなくあるし、実際に元CIAのスノーデンによる政府告発のような事態が生じている。
AI技術による管理・利便性の推進に代表される「アルゴリズム的公共性」と、伝統的な法の支配や民主主義的価値を代表する「市民的公共性」を対置させて、後者をもたない中国では、前者が無反省に拡大しているのではないかと分析している。拡大する一方のアルゴリズム的公共性に対して、市民的公共性がどのように歯止めをかけていくのかを具体的に示すことが今後の課題であろう。
以上のような筆者らの実態ルポ・現状分析は非常に興味深いものである。中国とアメリカに少なからず縁のある仕事をしてきた私としても同意できる点が多い。脂の乗りきった世代である筆者らの今後の仕事に期待したい。
(2019年8月 NHK出版新書)