山口義正著「サムライと愚か者ー暗闘オリンパス事件」

著者は「オリンパス不正会計事件」の発端を作った経済雑誌の記事を書いたジャーナリストである。事件の一連の経緯が当事者の視点から語られていて興味深い。著者は友人のオリンパス社員である深町(仮名)という人物から情報を得ていたらしい。独自調査を経て書かれた記事がオリンパス社の英国人社長であったWの目に留まり、事態は急展開して会長のKを追い詰めていく。

本書を読んでいるうちに強く感じたのは、情報を提供した社員深町と会長Kが考えていたことは「オリンパス社を守りたい」という点で共通ではなかったかということだ。

社員深町は、「このままでは会社がダメになってしまい、生活の場が失われ、家族が不幸になってしまうのではないか」という思いから、友人のジャーナリストにオリンパス社が過去に行った怪しげな企業買収情報を知らせる。一方、会長Kは、当初は特別背任の疑いもかけられたが、結局は「会社の評判や社員の幸せを守るために、特別損失の計上をなんとかごまかすことができれば」という思いから不正会計を行ったようである。

確かにKは個人の利益を図ったものではなく、もし英国人社長Wがいなければ、その目論見はうまくいっていたのかも知れない。しかし、深町(やW)とKの間のもっとも大きな相違点は、市場ルール(会計基準)に対する感性であるように思われる。

オリンパスの事件に限らず、我が国の企業社会では、市場ルールを軽視して、真の課題に向き合わず、問題を先送りにして状況が変わるのを待つという手法がとられることが多い。過去にはそれが成功した例もあったことから、麻薬中毒患者のように反復継続されている行為なのかもしれない。

一時的に問題を先送りにすることで表面的に「みんながハッピー」のように見えても根本的な解決にはなっておらず、回復が失敗したときには事態は取り返しがつかないほど悪化していることも多く、実際には投資者の利益や証券市場に対する信頼が大きく損なわれていることを見逃してはならない。

我が国において会社の利益達成のため邪魔なときには市場ルールを軽視し無視する風潮がある理由は、ルールを単なる手段と考えているからだろう。ルールを守ることで会社の利益が害されるのであれば、経営判断が優先され、経営者の行動に対する法的規律が要求されないと考えるのであろう。

しかし、こういう場合でも市場ルールを無視して会社の一時的な利益を保護することは許されないというのが一般人の正義感覚であり、多くの投資家は、経営者が会社の財務情報を正確に公表することにより市場に対する信頼が損なわれないよう望んでいることを忘れてはならない。

(2012年 講談社)