クラボウ
3月下旬のある日、出張のあと時間があったので、岡山市内の美観地区を訪ねました。 ほとんど10年ぶりでしたが、お目当ての大原美術館は休館日。ややがっかりして、アイビースクエア内にあるクラボウ記念館に入ったのですが、これが意外に面白かった。
クラボウこと倉敷紡績株式会社は、100年以上の歴史を持つ会社です。有限責任会社として設立されてから数年後、明治32年の商法制定により倉敷紡績株式会社となり、それ以来、日本の会社法とともに歩んできた会社といえるでしょう。 一般の人はあまり関心がないかもしれませんが、クラボウの初期の株主総会の議事録や、取締役会議事録、会計帳簿などが数多く展示されていました。
初代の社長さんが「大原美術館」を創立した後、長年かけて現在の立派なコレクションを蒐集してきたそうです。やはり、美術品の蒐集には莫大な資金が必要なので、このような大会社の社長でなければできないことです。美術品を一般に公開しているのは、今風に言うと、かなりスケールの大きい企業メセナなのでしょうね。 また、昭和初期の経営者が労働問題にも真剣に取り組んでいたことがわかりました。多くの従業員の健康問題や福利厚生に配慮して、病院や学校まで作ったそうです。法政大学にある大原社会問題研究所がクラボウゆかりとは、勉強不足で知りませんでした。
クラボウは、多数の機会に企業再編をしています。これも今風にいうとM&Aですが、それぞれの時代に応じて、戦争時政府からの要請により、あるいは、救済や経営多角化のために合併や新会社の設立を繰り返してきたわけで、現代の経営権が取引されるM&Aとは様相がちがっています。このあたりは時代の流れを感じます。 紡績業はかつては優良産業で、長い間、わが国でトップ企業の地位を占めてきました。しかし、次第に電気産業や通信産業が台頭するようになりました。業界の最大手だったカネボウは、不祥事により先ごろその長い歴史を閉じてしまったことも記憶に新しいところです。
アイビースクエアの中庭でカプチーノを飲み、レンガ作りの建物のそばに咲いた美しい桜をみながら、しばらく企業の興亡に思いをはせたのでした。
(2010年2月23日作成)